嘘満つる



 
 涙目に嘘の吐き方を教えたのも御爺だった。
「偽って騙るものはすぐに知られる。お千代、お前の顔には今のが嘘だと書かれていたよ。後ろめたさや悔恨や、時には油断や無意識のものがそうさせるのだ。彼らは饒舌で秘め事ほどよく語りたがる。いくら深く戸だなの奥に詰め込んでおこうとも、板の繋ぎから染み出してきて、舌や顔を毒するのだ。なぜなら彼らはそれは偽りだと知っているからさ。ゆえにまずは、彼らから欺かねばならぬ。つまり、お前自身をだ。嘘は、偽ってはならぬ。騙ってはならぬ。お前の口にすることは真実なのだ。過去から繋がれ未来に渡って事実だ。それを一点も疑ってはならぬのだ」
 彼女はそれを思い出すと胸にじくじくと痛みを感じる。その話をしたのは彼女が御爺の金時計を首に巻こうとして壊してしまったときのものだったからだ。しかしその痛みさえもかつては霞の向こうにあったのだから、今は懐古の温もりのほうが遥かに大きかった。私は御爺を愛していた。鳶色の瞳に涙が浮かんだ。理由なく景色を滲ませていた頃とは違う感慨がその胸の中にあった。溢れる涙にはおよそ源がある。気が付かぬときは霞んでいるだけだ。
「インターンですか。ご苦労さまです」
 警備員の青年は愛想良く笑った。地味なカーディガンを羽織り、資料を抱えた彼女は今、環境研究所の見習いだった。短大を出、薬品会社に勤め、今は研究員を目指している。見たことも触れたこともない博物学の知識すらもが脳裏に溢れてくるほどであった。神経の末端、血流の隅々までも、真壁柚木という若い熱意を持った人間が満ち満ちている。涙はすぐに引き、彼女は未だかつて浮かべたことのない凛々しい表情をして所内に踏み込んだ。一切に不安がなかった。見慣れぬものが途端に既知のものへと擦り落とされていく。警備に励む機械たちを一瞥し、挨拶には自分のものとは思えぬ明るい声が返った。

「お前は西の入り口から、職員証を持つ幹部に同伴し研修生として数名と共に入る。第二港付近は環境研究所の管轄と見られるから、近辺を確認し、先発隊の仕掛けの位置、立ち回りの位置、船の位置、それらを確認する。確立は低いが、万が一第二港にブツを詰んだ船が入ったときは、おそらく戦闘になる。面倒は見れん。向かう以上、自分の命は自分で守れ」

 白く四角い箱が幾重にも重なったような施設やどこまでも連なる温室を越え、異端の研究員らが歩を進める。
 真壁柚木の裏側で、涙目は泣いていた。透けるような夏の空だ。眩しい。情景が彼女の蓋を開ける理由に気が付いた。彼女はもうそれらを愛する機会を失ってしまった。芯は折れ、思いは霧散し、霞のようになって尚まだ生きるというのは如何なることでしょう。いま彼女の表層に満ちる柚木という人間の眩しさが、彼女の蓋を叩き続ける。私はもういない。ここには何者だって収まってしまいそうだ。
 だが、彼女は歩いている。永代区の閉じられた人工の地を歩いている。
 胸に秘めた匕首のように研ぎ澄まされた人格の断片だけが今、彼女自身である。



 




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