警笛



 
 
 低く吼えるような汽笛が空気を震わせた。
「あっちは第二港か」
「放っておけよ。どうせブラフだあんなもん!」運転手は備え付けの灰皿を蹴っ飛ばした。新品のため灰は入っていない。「決まってるだろ! 分かりやすいにも程がある! やっぱり俺達は只の陽動要員だったな! ハハ! ヤッパリ本命は懲罰委員だ! 俺達下っ端は下っ端らしくドンパチやってろっつうことだろ! そもそもド正面の港に密輸船が入ってくるわけがねえんだ!」
「騒ぐなよ。分かり切ったことだろ」
「そうだ。分かり切ったことだ。後はせいぜい騒いでやるだけだ」
 懐中時計の時刻は午後一時五十分を回った。
「そこの車!」メガホン越しの拡散した声が鋭くトラックを制止する。「止まりなさい!」
「どうしました?」
 助手席のウィンドウが下がり、研究員姿の男が特殊装甲のバイクに跨る警備員を見下ろす。
「3番ゲートからの入場ですね」
「ええ、それが?」
「実はモニタールームからの連絡で、ナンバープレートの照合IDに重複があるそうで……担当曰くもしIDが間違っていないとすれば、この車はまだ車庫にあるそうなんです。万一こちらが確認を怠ったということでご迷惑おかけしたら難ですからね。可能性は限りなく低いですが……」
 警備員はにっこりと笑った。
「皆さん、本日はどのようなご要事で?」
「出せ!」
 助手席の男は足を出してアクセルを踏んだ。
「おおッ!?」
 トラックは急激なG負荷を伴いながら急発進した。運転席の二人が座席に叩きつけられるのと同時に傷一つない舗装道路にタイヤ型の焼け跡と凄まじい粉塵を巻き上げながらトラックは弾丸のように直線道路を滑り、跳ね返りで運転手が額をハンドルにぶっつけ警音器が高らかに鳴り響くのと同時に警備員が鳴らした警報がだだっぴろい人工平原に響き渡った。
「畜生ッ! そういうのは断ってからやれボケがッ!」
「あいつ警備員じゃないぞ。駅で見たことがある」
「駅ィ?」運転手はトップスピードで広大な敷地を駆け抜けるトラックを正確に制御しながら舌打ちした。
「駅員だよ。最近のJRは躍動的だな」
 周波数の低い唸るような音がする。警備員のバイクは装甲の繋ぎ目を奇妙な青に発光させながら凄まじい加速をしている。タイヤの回転見合わぬ速度だ。マフラーからは白い噴煙が噴射している。
「なんだありゃあ」運転手は鼻をすすった。「オーバーテクノロジーかよ! こっちはようやっとオートマチックなんだぞ!?」
 バイクに跨る警備員の頭に既に帽子はない。にっこりとした笑みが次第にトラックに併走する。
「もう合流はキツいな。"荷物"降ろそう」
「合流どころじゃねえぞ! 頭伏せろ!」
 頭蓋を貫くような警報が鳴り響いた。運転手がハンドルをめいっぱい右に切り、車体を浮き上がらせ芝生を深々と抉りながら柔らかい土の上に進路を変更した瞬間、一瞬前までトラックの鼻面のあった道路が突如バンと音を立てて稼働し、シャッターのように開いたアスファルト状の蓋の中から滑らかな曲線のボディを持ったロボットが飛び出した。
「俺はもう何も言わねえ」
「それがいいな。舌噛みそうだ」
 蛇行しながら草地を行くトラックをカメラアイが捉えたと思った瞬間、ロボの装甲が変形し、筒のような銃口が覗いた。
 トラックを小刻みで断続的な鋸引きめいた衝撃が襲う。
「畜生がァーーッ!!!」
 運転手が遮二無二ハンドルを切り、トラックの軌跡を追いかけるようにコンテナの側面を無数の弾痕が埋め尽くす。車は環境研究所の施設群の目前だった。ささやかな木立に囲まれた白い箱状の建物が壁のように立ちはだかる。研究員は黙って腕を組んだ。
 トラックは壁に対して殆ど並行の状態で転がるように衝突した。大轟音が鳴り響く警報を掻き消した。同時にコンテナが外れ、白い箱の角へ激突し、乗り上げた。怒号を残して運転席の側面の窓が吹き飛ぶように割れ、運転手の男がそこからばねで弾かれたように飛び出していく。舞い散る粉塵に目標を見失った自動砲台に飛び跳ねながら高速で近寄る影、カメラアイが回転しそれを捉えきる前に彼は鋭い三本の爪でロボの目を、そして砲塔を粉砕した。
 筋肉を鎧のように纏った異形の小さな獣はかん高い声で彷徨した。笛の音にも似ていた。同時に壁にめり込んでいたコンテナがぎいと開いた。中から現れた構成員の一人がぬめり出てきて不格好に着地に失敗し、そのまま地面に吐いた。その背を踏みつけ、次々と構成員が現れる。
 バイクは惨状の数メートル手前で停止した。
「すごい、大惨事だ」
 男はまるで台風の前の子供のような顔をしている。
 その後ろへ続いて推進剤を振り撒きながら高速駆動のバンが音もなく到着し、開いたドアの中から武装した警備員たちが隊列を組む。
「あのトラックの中に仲間を詰んでたみたいだね。でもあの様子じゃ無事じゃあない。今のうちに確保」
 男の命を受けた警備員らがコンテナを取り囲む。
 中から現れた椿組の構成員らはヨタヨタとふらつきながらようやくコンテナから抜け出そうとしていた。しかし警備員らは各々銃、警棒、盾を構え既に彼らを完全に包囲している。
「全員手を上げて、武器を置いて。無駄な抵抗は」
 バイクに寄りかかる男の台詞はそこまでだった。隊列はその外からやってきた一撃によって崩された。鋭い爪が深々と警備員二名の背に突き刺さり、引き抜かれ、血飛沫が芝生を赤く染めた。未だ鳴り響く警音を埋め尽くすように怒号が飛ぶ。慄いた警備員が振り向き様に銃を乱射した。獣の軌跡を追う銃弾はフレンドリーファイアで味方をなぎ倒し、布陣の壁面を完全に崩した。
「畜生」「落着け!」「位置を組み直」叫んだ隊員が頭を抉られた。「ア゛アアアア」「止めろ撃つな!」「そこだ!」
 警備員の一人が電流を帯びた警棒で彼を叩いた。しかし手ごたえはなく、次の瞬間振りぬいた腕を伝い彼は肩に組み付いていた。声にならない悲鳴が上がった。
「クソがあッ!」
 盾持ちの警備員が得物を振り上げ、一枚板の切っ先で警棒持ちに噛み付いたままの獣をごと叩き振り抜いた。彼は警棒持ちの頭皮をいくらか噛み千切ったまま吹き飛ばされ、地面に激突した。その姿は既に殆ど人間だった。警備員らはそれこそ獣じみた声を上げて男に躍り掛かった。無秩序に武具を振り回し、警備員らは構成員たちを雪崩のようになぎ倒していく。ついに斜めに開いたコンテナにまで到達した警備員の一人が半分ほど顔をのぞかせヒイッと頭を引っ込めた構成員を引き摺り出し、警棒で叩いた。一発、二発、しかし三発目は遮られた。コンテナの暗い陰の中から一本、棒のようなものが差し伸べられ、気を失った構成員を隔てている。警備員は顔を上げ、コンテナを覗き込もうとしたが、次の瞬間にはその首は明後日の方向を向いていた。棒の切っ先がその頬っ面を砕いたのだ。
「たくよォ、舐めた真似しやがるぜクソが」
 現れた人影は小柄で、修道服を着ていた。乱雑に被ったウィンプルの隙からは燃え盛るような赤毛が飛び散っている。
「てめえらァーーーーッ!!!」
 両手に携えた二本の棒をしなやかに肩へ収め、修道女は叫んだ。
「てめえらの墓場はここじゃねえッ!!! 死ぬ気で闘えェッ!!! そして」
 重質量の安全靴が瓦礫を踏み割る。
「一人残らず地獄にブチ込んでやれ」
 死屍累々の構成員らは、万聖節の死者のように立ち上がった。そして天を突くように、猛々しい鬨の声を上げた。
 反撃が始まった。




「あーあ」見守っていた男は白々しく笑った。「産技は応援呼んでくれるかな」
 そしてもう一度バイクに跨り、気が付く。トラックの"残り"が見当たらないことに。
「やられた」
 そしてなぜか楽しそうに笑うと、ロケットスタートで轍を追った。




 変化が飛び出していくのを見守って、白衣の青年は静かに息をつき、衝撃でくらくらする頭を叩いた。
 彼らの目標は環境研究所本部前の見張り、もしくは状況によって陽動に回るはずだったが、この様である。
 紫に滲む視界に痣のような網膜の幻影が踊った。思わず掌が顔を覆う。それは椿の花にも似ていた。
 彼は構成員の一人であり、尚且つ椿邸の庭師だった。あの常咲きの椿は彼の手によって保たれている。その秘術は代々椿邸の庭守りに受け継がれ、彼はその末端であった。椿組のしきたりで、有事の際には誰もが戦に赴く機会はある。先代はそうして散った。彼はまだ十七だった。しかし今、庭で鋏を取り、こうして"有事"に駆り出されている。
 受け継がれているのはそれだけではない。
 彼は瞼の裏側に鳶色の目の女を思い描いた。そしてそれを裁断した。背後から近づく別の車の駆動音がした。
「頼んだぞ」
 庭師は振り返らずに呟くと、"荷物"を降ろした背中の空いたトラックのハンドルを握り、研究員姿の男はアクセルを踏んだ。濛々と立ち上る煙の隙をついて車影はやがて見えなくなった。









*中戸
 トラックの運転手。椿組構成員。しょうけら。
 変化すると身体が縮み、筋肉の塊と化して身体能力が異常に上昇する。三本の鋭い爪は鉄板も切り裂く。
 ただし変化していられるのは激情の合間のみであり、自我を回復するにつれ徐々に人間型に戻り、爪の硬度や身体能力も下がる。

*庭師
 研究員に扮した男。椿邸の庭師。




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